希少価値とお金
社員に辞められたくなければ給与を上げろ、と言う人がいるけど上がるのは上がる価値がある人だけ。
若手に来て欲しいから上げる、は他の社員の反感を買います。あるいは全員の給与を意味なく上げて会社へダメージを与えることになる。
若手には希少価値しかなく、他の価値がないから。
正確には仕事として価値を出せる段階にない。
数年後は若手でも出せるかもしれないけど、新人では厳しい。
世の中の理不尽さに耐えられない。教科書通りの範囲でしか対応できない。
ということは他の人で補えてしまうんです。
でも、将来は活躍する人かもしれない。
だから新人で雇うし、新人の給与は安い。
会社は新人の給与を上げるより、能力によって昇給スピードを上げるとか入社後の対応を考えます。
会社にとって新人ガチャなので。
それはそれで上がらない人の反感を買うんですけどね。
配属ガチャは大したことないです。
能力ある人は結局行くべきところに行きます。
すぐ行けるかはわからないけど、その人の特性とか見て異動させられます。
させられない、ということは会社との別れどきかもしれませんね。そこのリミットはご自由に。
一人が一票を持つこと
チャットや掲示板では一人ひとりのコメントが一票としてカウントされます。
会話であれば無視される言葉でも、きちんと形が残ってしまう。
本来であれば見るに値しない言葉にも発言力が生じますし、それは重要な言葉と同じ重さで表示される。
重さをつけるのは読み手です。
読み手次第で、何の根拠もない言葉に真実という証が押されてしまう。
嘘を嘘と見抜ける人でないと、インターネットを使うのは難しいです、という話。
決めるということ
書くほどじゃないな、と思うと書かなくなるので小さなことでも書かないとですね。
いろいろな学生や社会人を見ていると「決める」ということを「決めつける」と同義で扱っている。
決めつける、というのは以降考えることをやめるということ。特に自分の未来を決めつける人は多いです。
なので会社に入って新たな価値観に出会ったときに困惑する。本当にこの未来を軸にしてよかったのか、これは自分のやりたいことではなかった。
そこから導出した転職という答えはあまり良くなる印象を持たないです。
転職が良くないのではなく、いけないものに縛られていることに気がついていないことがよくない。
会社側は確実に向いてないとか別の会社の方がその人が活躍できるのであれば出た方がよいというのを(普通の会社であれば)スタンスとして持っています。
ただ、「決めつける」と変われないんですよね。その考えに固執してしまう。周りの声が届かなくなってしまう。
それは私も経験しているのでよくわかります。
「決めつける」からどう脱却したらいいかわからない。私はうだうだしたり、ライフイベントがあったりしている間に「決めつけた」人生から抜け出しました。
アドバイスにはならないし、そう言われてもどうしたら良いかというのはあると思いますが、「決めつける」のではなく「一時的に設定する」ということをしてみませんか?
学生のレベルが落ちているは何の話か
学生のレベルが落ちてるのではなく、優秀な学生があなたの会社に行かないだけ。
とか言う話ではなく、学生のレベルは落ちてます。間違いなく。
スキルとか知識という点では文句なく上がってる。過去のレベルなんてゴミのようなものですよ。
ただ、それを活かす能力が低くなっている。
事業者になるならいいんです。そこまでの能力を持って生きようとするなら問題ない。
ただ普通の会社で働くのに向いてない性格になっている。
向いてない性格なのにスキルが飛び抜けているわけでもない。だから総合的にレベルが下がっている。
他にも答えを求めたがるとか、与えられた答えを疑わないとか、地道な努力を嫌がるとか、自分の要望が相手によらず叶うとか認められると思っているとか。
多分、別の会社に行ってないんですよ。
レベルが下がってる。
ただ、レベルが高い人もいる。その人たちはスキルも高くてそれを活かせるからどこにでも行けるというのは間違いない。少ないけど。
少ないのに、レベルが高いと思っている人が多い(増えた)のがレベルが落ちている原因ですね。
新卒採用選考で不合格になるということ
中途は違うはずだけど、そして今の採用方式にしか当てはまらないかもしれないけど。
新卒採用選考で不合格になる理由は基本的に「勉強不足」が原因です。
「勉強不足」は2種類で、一つは自分のことへの勉強不足、もう一つは会社に対する勉強不足。
そして、この順番で勉強しないとダメな話です。
今は売り手市場なので、勉強不足でも採用されます。
でも勉強不足の人は社会人になってから苦労する。
苦労というか今の転職市場の売り手化によって転職していくんだけど。
ただ、苦労するよね。自分のことがよくわからないまま転職していくのだから。
話を聞いていても理由がよくわからない。
なぜかと言うと、自分がわかってないからです。「こういうことが自分の目指す場所です」と定義できていないから、理由がフワッとする。
「今のままではダメだ」とか「やりたいことができない」とか。何がダメなのか、何をやりたいのかが明確ではない。
辞めようとした人を引き留めてもどうせ辞めるので会社も引き留めないけどね。
自分がわかっていないとどういう会社に行った方がいいかもわからない。
だから会社の条件だけで選考に進んでしまう。
そしてより良い条件の会社を選ぶ。
まぁ、外しますよね。
「やりたいことができない」につながる。何やりたいかもわからないのに、違うことはわかるわけがない。何が違うか考えてから辞めた方がいい。
それを考えるようにならないと転々とすることになる。
これからジョブ型になるかもしれないけど、その人がなれるジョブは限られる、あるいは安いジョブになることになる。
だからちゃんと学びましょう。試しましょう。自分がどんな人なのか、何で力を発揮できるのか。
給料を気にする人も多いけど、最終的に給料を決めるのは力を発揮できるところにいられるかどうかですよ。
「なんでも質問して」と「それくらい自分で考えて」の両立
両立しなさそうなこれ、両立する管理職がいるんですって!
って当たり前ですね。両立するので。
文だけ見るとしなさそうだけど、します。
基本的になんでも質問してほしいのです。
質問せずに事故になるくらいなら質問してほしい。
悩む時間は無駄なので質問してほしい。
でも考えないのは違う話。
考えるという行為は確実に人を成長させる。これは間違いない。
でも、悩むという行為は無駄。これは成長につながらない。
ある事柄について、マニュアルなり過去の資料なりに載っている可能性があるのであれば、それは調べてから質問しないといけない。
その事柄以外の情報も脳は処理してくれる。
結果として、知識は増える。
それがどこにあるかわからないなら質問するべき。フォルダを一から見ていくのは無駄。
Excelの関数とかも調べたらどこかのサイトに載っている。
そういう関数があるかどうかを知っているかもポイントではあるけど、そこに考えるという行為が入っていないと関数を知っても使いこなせる人になれない。
「こういうことができるかな」を考えていないと「こういうことはできそうだな」「できなさそうだな」にならない。
「それくらい」のさじ加減は社会人になる前に友人とかで練習しておいた方がいいですね。
とはいえ、コロナ禍でそういうところを指摘してくれるような友人を大学で見つけるのは難しいんでしょうかね。