研究者になるために
すごい久しぶりの記事。
メモする習慣がないのがよくないのだろう。
これ書こう!と思っていたことをふと思い出したので。
理系の学生から修士に進むかという話がよく出ます。
好きにしたらよいとは思いつつ、下記の条件をクリアするならしなくてよいと思っていいのかな、と。
個人的には「する」前提の方がよいと思ってます。
まず、研究者になろうと思わないこと。
修士は企業の研究職に就くための練習として行くべきところです。
答えがないものに対して調べ、作って、検証する、この流れに自分がどれだけ耐えられるかを比較的安全な場所で経験することはプラスに働くこと間違いなしです。
この経験をしない、行き詰まったときに突き進めるタイプの人間なのかの判断ができていない、というままで研究職に行くと、最悪心をやられます。
どこで戦えば勝てるかを考えていること、またその覚悟を持っていること
学卒だらけで争う文系と異なり、理系という舞台で戦うのであれば学卒は修士と同期になって争うことになります。
同じ土俵で戦おうとするとさすがに分が悪いです。
もちろん修士でも大したことない人は多いですが、自分が勝てる土俵を知らない学卒が修士より上になる確率は高くないです。
一方で学卒でも修士とるくらいの経験をしている人はいます。
きちんと勉強して、ある分野で修士以上の知識を得ている人もいます。
社会に出たら成長し続けないといけない時代。
自分が世の中でどのような価値を持っているか、知らない状態で乗り込むにはリスクが高い。
そして、修士の方が重宝されがちな世の中。2年何かの経験しているわけですから、それを逆転できる何かを持っていないと、なかなか希望は叶いにくいですよね。
仕事ができるできないの差
それは優先順位にあるのでは、と思う。
忘れないようにメモ
社会で生きること
人は一人では生きていけない。
食べ物を作る、家を建てる、温める、冷やす、きれいにする、他にもいろいろあるけど、誰かが作ったモノやサービスを利用しないといけない。
一人では生きていけないから、分業する。
分業するために人はコミュニティに入る。
コミュニティに入るということは、所属している人の影響がコミュニティに向かうということ。
某寿司屋で行われたことで、動画配信者の所属する学校などに問い合わせが行くのは、それがその人が所属するコミュニティだから。
そこに苦情を入れる、炎上させるのはよくないことだけど、視点を変えて受ける側として考えると、苦情が来る、炎上するというのは仕方ない。
それがコミュニティに属するということで、そこから外れないようにするというのが犯罪等の抑止になっている。
生きていくためには何かコミュニティに入らないといけない。
そしてコミュニティから追い出されないようにしないといけない。
それは意識しておきたいものです。
バカにしているのか、という発言
これを言う人が一番自分をバカにしている。
他人はバカにしているのではなく、バカな行為を指摘する。
バカな行為をするのは自分だ。
バカな行為をするということは、自分はそのようなバカな行為をする人だと伝えているにすぎない。
誰もその人をバカにしていない。
自分がそのようなバカな行為をする自分を許す、という形で自分をバカにしているのだ。
10月1日の内定式
今週は多くの会社で内定式をしたと思います。
土曜日の1日にやるのか、平日月曜日の3日にやるのか、誰も興味はなかったと思いますが、地味に気になるところでした。
過去には大学関係者より「平日に内定式と言って学生を連れて行くのは何事だ」と言われた内定式。
なぜやるのでしょうか。
これは入社式も同じでしょうけど、契約の場なんですよね。
内定式であれば半年後の入社をお互いに約束(契約)する場になります。
なので、恐らく参加を強要する企業はないはずです。契約しない方のその日における信用が落ちるだけ。契約する日を別の日にすることもできるはずです。
なんで契約するかと言うと信用できないからです。
「そんな信用できない人を採用するな」という声もわかりますが、どんなに長期間一緒にいた人であっても数百万円のお金は渡せないですよね?採用は一人あたりに数百万がかけられている事業です。予定の人数を採用するために大量のお金をかけていることを意味します。
それが入社のタイミングで欠けるというのは損失なんです。それこそ利益から減るんです。数百万の損失なんです。少しでも安全に進みたくなりませんか?
だから別日でも契約を結びたいんです。
という意味で、別に土曜日にやっても平日にやっても変わりません。
学生からすると土曜日の方が授業や学事日程に影響なくて助かるかもしれません。
でもそれに対応するには企業が土曜日に出社しないといけないんです。学生の立場ではありがたいかもしれませんが、その会社は他の会社等のために土曜日出勤の多い会社かもしれません。
その辺の判断はどの立場から見るかで変わる話なので、色々な視点で入社後を考えるようにできるといいですね。
真逆の振る舞い
公言していることですが、私は自分の能力は全く高くないと思っています。
ポジティブだと言われることも多いですが、とんでもない。前向きなことなんて考えていないし、私がやることはまずうまくいかないと思っています。
前向きに見える理由は単純で、私はこんなできない私はミスをするから賢い周りの人が何とかしてくれると思っていますし、賢い周りの人がいいと言ってくれたことだからやっても失敗しないんだろうし失敗しても大したことないだろうと思っています。
失敗する確率は高いので、極力失敗しないように心がけます。
頭が悪いので覚えられないため、メールなど即レスです。
他にもありますが、私は賢くないからこそ賢い人と同じことができるよう頑張るんです。
ただ、そこで気づいたのですが、賢い人は賢くなさそうな仕事をして、賢くない人は賢そうに仕事をしています。
賢い人ほど上司や周囲の人とコミュニケーションを密に取ります。進捗とかどうしたらいいかとか、構想段階でも見せたりとか。期限よりかなり前から周りと意見交換されているので、間違いがないです。
賢くない人は真逆です。自分で考え、ある程度形ができてから人に見せる。当然期限はギリギリ。スタートでずれていることが多いので直す範囲が大きい。というより、そこまで作ったものの形がなくなります。
賢くない人のやり方は仕事がちゃんとできて、ちゃんと結果を出せる人がやっていいやり方です。
不思議ですね。賢い人の方が賢くないようなやり方をする。
でもこれは学生の頃からもそうで、勉強できる人ほど勉強します。運動できる人ほど運動する。できない人ほどやらない。
できるようになるための方法はできない人ならどうしたらいいかを考えることでしょうね。